日大三高が5年ぶり17回目の夏の甲子園出場を決めましたね!主将の日置航選手はU18候補にもなっている注目選手です。
実は日置選手のお父様も現役時代に甲子園に出場されているスポーツマンです。また、上田千曲高校の監督を務め、弱小校をベスト4まで押し上げた名監督でもあります。日置電機の御曹司という噂についてもお届けします。
日大三・日置航プロフィール
【#高校野球】選抜大会に出場する #日大三。壮行会で選抜旗を受け取った #日置航 主将は「今年は非常に勝負強いチーム。五輪での #羽生結弦 選手の堂々とした滑りのように、自分たちも思い切ったプレーで躍動してきます」と誓いました。#バーチャル高校野球 #センバツ #甲子園 https://t.co/65Jk5pax5W pic.twitter.com/ei1IW1ZS6x
— 朝日新聞東京総局 (@asahi_edo) February 25, 2018
名前:日置航(ひおき わたる)
生年月日:2000年6月16日(18歳)
身長:176cm
体重:76kg
ポジション:内野手(ショート)
投打:右投げ右打ち
出身:長野県
学校:上田市立清明小学校〜上田市立第二中学校〜日大三高校
日大三高のキャプテン・日置航選手は、遊撃手としてセンスある守りとパンチ力ある打撃力が持ち味で、優秀な先輩たちがいる中で1年生からベンチ入りを果たしていました。プロも注目するドラフト候補選手で、U18代表候補にも選出されています。
小学校3年生のときに上田市の野球チーム「上田南」で野球を始めました。小学生のときに2年連続で日本選手権に出場、中学3年生のときには日本選手権など全国クラスの3大会に主将として出場しています。
この時から野球のセンスが群を抜いており、小・中学生時代の通算打率は5割越え!スーパー中学生として注目を浴びており、日大三高へ野球推薦で進学します。
おそらく他の高校からも声がかかっていたようですが、日大三高に決めた理由は「清宮幸太郎選手と再び戦いたいから」と語っています。中学で日本選手権に出場した際、清宮選手が所属する東京北砂と対戦して敗退していました。清宮選手はよっぽど記憶に残る選手だったのでしょう!清宮選手が進学した早稲田実業と戦うチャンスのある、日大三高への進学を決めました。
今年夏の甲子園出場を決めた西東京大会でもホームランを連発する活躍ぶりでした!甲子園での活躍を期待する声が早くも多くあがっています。甲子園の活躍次第でドラフト1位指名も十分あり得ます!
https://twitter.com/seri8910/status/1023742988961214465
日大三の日置まじバケモンやん
— くわはらさとる (@1997813K) July 30, 2018
日大三高の日置くんすごすぎでしょ。
— かなみ (@TK110707) July 30, 2018
日大三・日置航の父は上田千曲高校の名監督!
実は日置選手のお父様の日置透さんも元甲子園球児で、昭和63年の夏の大会で上田高校2年生レギュラーとして出場していました。
航選手は高校から親元を離れて東京で寮生活をしていますから、最後の夏に甲子園に出場という夢を叶えてくれたのはお父様も本当に嬉しいでしょうね!親子二代で甲子園出場だなんてなかなかできるものではありません。
お父様の透さんは上田高校を卒業したあとは明治大学に進学しています。野球を続け、投手&内野手としてリーグ戦優勝を経験。やはりお父様も只者ではありませんね!
明治大学を卒業後は家業を継ぎますが、地元の上田千曲高校から外部コーチとして呼ばれて野球部監督に就任。弱小校だったところを県大会ベスト4入りまで育てた名監督として知られています。
航選手が小さい頃からセンス抜群で活躍していた背景には、きっとお父様の熱心な野球指導もあったのでしょうね!
日大三・日置航と日置電機の関係は?
お父様の透さんは、長野県上田市に本社がある社員850名ほどの日置電機株式会社の御曹司であると言われています。
現在、社長や役員を務めているわけではありませんが、明治大学を卒業したあとは”家業を継いだ”とされていますので、日置電機のお仕事を手伝っていたのではないでしょうか。
そして、航選手が小・中学生のときに入っていた少年硬式野球チームの”上田南リーグ“は日置電機が1991年に作っており、練習場所も日置電機のグランドとなっています。
今年の夏の甲子園は、上田市民や日置電機社員みんなで日大三を応援することになりそうですね!
まとめ
日大三高キャプテンの日置航選手のプロフィールについてお届けしました。お父様の透さんは元甲子園球児で、上田千曲高校を県大会ベスト4まで育てた名監督でもあります。攻守ともにセンス抜群で安定感のある日大三・日置航選手に注目です!