白山高校(三重)の東監督の経歴がすごい!なぜ甲子園出場できた?

 

2018年夏の甲子園が始まりました!

今回は甲子園初出場の学校が6校ありますが、そのうちの1校が三重県代表の白山高校です。

公立で出場できるのもすごいことですが、驚きなのは5年前は野球部員数がたった5名の弱小校だったとか?!

そんな弱小校がなぜ甲子園出場できたのか、その理由は東監督の指導法にありました。東監督のすごい経歴についてもお届けします。

白山高校(三重代表)の東監督の経歴・プロフィール

弱小校だった三重代表白山高校を甲子園に導いたのはずばり東監督です!

名前:東 拓司(あずま たくし)

年齢:41歳(1977年生まれ)

出身:三重県松坂市

学校:三重県立久居高校〜大阪体育大学

久居高校時代は残念ながら甲子園には出場していませんが、当時の監督は野球解説者の松崎敏祐さんでした。

久居高校は運動部に力を入れており、実はレスリングの吉田沙保里選手の母校です。

高校卒業後は大阪体育大学で野球を続け、ジャイアンツ上原浩治投手とチームメイトでした。

大学卒業後は三重県立上野高校に就任。野球部を県大会ベスト4にまで導いています。上野高校は公立進学校ということで、文武両道でベスト4は素晴らしい実績です!

指導者としてのセンスがあり、生徒からも慕われる存在です。

 

なぜ白山高校は甲子園に出場できた?感動の軌跡

白山高校野球部ができたのは60年前ですが、直近10年は三重県大会で初戦敗退。「田舎の弱小集団」「1回戦の白山」と呼ばれる正真正銘の弱小校でした。

https://twitter.com/WANIMA_soccer08/status/1023485849646784514

東監督は5年前の2013年に野球部監督に就任していますが、なんとその時点での部員数はたったの5人。

また、グラウンドには草が生えており、とても野球をできる環境ではなかったようです。

東監督は前任の県立上野高校では県大会ベスト4まで導いていますから、白山でも野球をしたいと思って来たらこのありさま・・当時は絶望したと語っています。

部員がいなければそもそも野球が成り立ちません。部員数を増やすために東監督が自ら中学校に出向いて新入部員を集める活動をしました。

(現在では300人の全校生徒に対して、なんと野球部員56人!)

1年目は他校との混合チームでなんとか県大会に出場するものの、大会前の壮行会では生徒から「どうせコールド負けだろ」というヤジも飛んでいたとか。

結果、その通りコールド負けをしてしまいます。

そのような絶望的な状況からたった5年間で甲子園出場する力をつけたのは、練習法に秘密がありました。

竹のバットを使用

高校野球は金属バットを使用しますが、より芯に当てるのが難しい竹のバットを使って練習することにより打撃力強化を行いました。

また、1日1000〜2000本の素振りを行い、圧倒的な量をこなすことも大事にしていました。

ピッチングマシンが壊れており、コーチらが自ら投げてバッティング練習をしていたそうです。

年間150試合以上の練習試合

実戦形式での練習量も飛躍的に増やしました。東監督が自らマイクロバスを運転して年間150試合以上、練習試合をしていたということで3日に1試合のペースです。

練習試合で課題を見つけて、その課題を潰す練習をひたすら行いました。

東監督は「三重県で1番練習量が多い」と自信を持って言うほどです。

 

白山高校の快進撃の裏側には涙ぐましい努力がありました。

公立ということでベンチ入りメンバーは1人を除いてみんな三重県出身。全国から生徒を集めている私立校とは訳が違います。応援したくなるチームですね…!

まとめ

白山高校(三重代表)を甲子園に導いた東監督の経歴をご紹介しました。弱小校が甲子園に出場できた裏側には練習法の工夫や圧倒的な努力がありました。

甲子園での初勝利を目指して頑張ってほしいです!

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